ジャーナルJOURNAL

同時代性

自転車に乗るようになって電車の中で本を読むという行為がめっきり減ってしまいましたが,最近,本を読んでいて感じだしたことがあります.

それは作者との同時代性というようなもの.キルケゴールの言うようなキリストとの同時代性のような崇高なものではなくて,もっと低レベルな.

30も半ばになると,小説やエッセイの作者にはほぼ自分と同じ時期に生まれて,同じ文化や社会を同い年くらいのときに過ごした人が増えてくる.

青春時代にダウンタウンの番組を見て笑い,ミスチルやスピッツをカラオケで歌い,やっぱグランジやでと言いながらカート・コバーンの死を悼み,彼女の前ではオアシスなんかのUKロックを聞いてええなあと言い,今では,AKBと言われても誰一人名前が出てこない世代.

同時代性があるから文章の中で言いたいところが見えてくるし,感じることができる.小説の中で音楽が出てきても,それを聞いていたころの自分の姿を重ねることができたりするようになる.

いま大御所といわれる人の本を読んだとしても,同時代性が欠如しているので,あくまでも,知識として知っているものや思想として接してしまい実生活に入り込んでいないので,どうしても違和感のようなものが生まれてしまう.

ビートルズは聞いたことがあるけど,武道館にまで見に行きたいと思ってはいない,学生紛争に参加するかしまいか悩んだりもしていない.

おっちゃんになってきてこその新しい楽しみが増えてきた.